日本一おかき処 播磨屋本店社主 播磨屋助次郎
播磨屋助次郎の設計センス 「建築と造園」
 人は誰しも何事に限らず美しいものに憧れます。余程の変人かへそ曲がりでない限り、わざわざ美しくないものを求める人はいないのです。 そしてそれは、人という生き物に天与された、ほとんど本能的な特性のようでもあります。

 さてここからが本題です。そのように万人が求めて止まない美しさとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。

 私見ながら「美しい」は「カッコイイ」と同義語であると思います。また、調和が取れていてバランスがよいと言い換えてもよいと思います。

 要するに、真に美しく最高にカッコイイのは「自然」だと言いたいのです。
逆に「不自然」は、たとえ一部ヘソ曲がりの人々から一時的にカッコイイと評価されたとしても、基本的には美しくなくカッコワルイのです。

 私播磨屋助次郎も、人一倍強くそんな美しさに憧れます。 美しいものと美しくないもの、すなわち自然と不自然が不思議なほどよく分かるのです。

 それも弊社を創業した三十代の後半あたりから急激にです。自分の内部で何かが大きく変わった、そんな気がしてならないほどにです。

 私が突然変異したように、急激に大きく身に付けた美しいものを創造する特殊能力は、非常な多岐多分野にわたります。 ここでそのほんの一部分の建築と造園に関する創造力と作品を紹介させて頂きます。

 

生野総本店

 幕末の文久年間(西暦1860年ごろ)初代播磨屋助次郎が、弊社の前身である油屋を創業したのは、生野銀山として有名な兵庫県生野町(現朝来市生野町)でした。

  その地に創業の家のイメージをふくらませて建設し、昭和63年春に営業を始めたのが本施設です。その後平成6年に販売棟を増築し、茅葺きの母屋をレストラン専用に改修して現在に至っています。

 テーマは「現代の民家」で、弊社全顧客に昔懐かしいふるさとのわが家を提供したいという熱い思いで建設し、運営し続けてきているものです。そしてこれこそが、弊社播磨屋本店の企業イメージそのものでもあります。

 いろりやかまどで燃えるたきぎがはぜる音、その煙のにおい、水車の音、そしてもちを搗く杵の音、それらすべての相乗効果が、年間15万人にも及ぶ来訪客一人一人の心に、深い安らぎと明日への活力を提供し続けています。

 余談ながら茅葺きの母屋は、昭和63年度の日本建築業協会賞特別賞に選ばれました。因みにその特別賞2作品の内のもう一方は、東京ドームでした。

 

 

 

 

 総本部などと名前はいかめしいですが、実体は通販の物流センターです。各工場で製造された商品がここに集められ、顧客お一人お一人からの注文内容に従って荷造りされて、日本中(世界中)へ配送されてゆくのです。

 私播磨屋助次郎の執務室がここにあるので、社内名称として総本部と呼んでいるものです。南北40メートル、東西130メートル、総二階建て(一部三階建て)という巨大な建物で、平成元年に完成し使用し始めました。

 苦心したのは、そんな巨大な建物をいかにして「和」に仕上げるかでした。いろいろ悩んだ末に、東京の国立劇場をモチーフにすることを思い付き、銅板をあしらった深い反りびさしが大きく翼を広げたような、風格ある堂々とした美しい「和」のプロポーションを実現させたのです。私が一番気に入っているのは、ひさしの先端下部に取り付けた風鐸(ふうたく)です。まさしく無用の用の極みです。

 常時しめ縄を飾った大鳥居風のゲートが、来訪者を驚かせます。これは、ここが単なるありきたりの物流基地ではないことを、日本全国へ真心を配送する真心の物流基地であることを、私自身の自戒の念として表わしたものです。

 

 

 

 

朝来山荘

 私播磨屋助次郎の宿願というかライフワークというか窮極の人生目的は、環境問題の抜本的完全解決です。

 播磨屋本店は、それを実現するための非常に重要な手段だと考えています。播磨屋本店があればこそ、私ごとき一介の平凡人が、日本全国無数の方々と心を交わせ合うことが出来るのであり、また種々の社会的物理力を発揮することも可能になるのだからです。

 そんな私は、自称「自然人」を名乗り続けてきています。環境問題を抜本的に完全解決するためには、人類が、いえその前にまず日本人一人一人が、不自然人から自然人に戻らなければならないと強く確信する故にです。因みに自然人とは、まだ国家が出来る前の自然状態にある人間、あるいは社会や文化などの影響を受けていない人というような意味です。

 そんな自然人としてのパワー、特に心のパワーを更に更にパワーアップするために、人間社会から離れて自然の中で寝起きする必要があると考えて、特別強いこだわりを持って作ったのが本施設なのです。

 朝来(あさご)連山の山ふところにあるので朝来山荘と命名したのですが、何と不思議なよく出来たよい名前だと、独り悦に入っています。

 

 

 


豊の岡工園

 昭和62年秋、私播磨屋助次郎は、まだ一社も進出企業のない豊岡中核工業団地のA区画(約2万坪)の広大なすすきヶ原に立っていました。よし、これだけの広さがあれば、思う通りの公園工場が設計できるぞと微笑みながらです。

 そして周囲を見回してみて気が付きました。広々と広がる一面の田んぼの向う東北方向(鬼門)すぐ間近に、朱塗りの大鳥居がこちらを向いて建っていたのです。何の神社か知らんと思って出向いてみて、心底びっくりしてしまいました。

 それは誰あろう菓祖神タヂマモリノミコトを祭る、私たち菓子業界の尊崇を一身に集める菓子の神様中嶋神社だったからです。

 その場ですぐに進出を決断したのは言うまでもありません。そしてまるで菓祖神に導かれるようにして一気呵成に設計し、翌々昭和64年春に操業を開始したのが本施設なのです。

 その後平成9年に長い渡り廊下でつながる東工場を増設し、平成20年秋にはそのまた東側に、ユーロシリーズ専用の極東工場を増設しました。

 また平成18年に、元は枯海だった前庭を海浜大庭園と命名して実際に水を張り、コウノトリが舞い来る日に備えています。

 

 

 


姫路店

 播磨屋本店が産声を上げたばかりの昭和60年に、弱冠37歳の私播磨屋助次郎が最初に手がけた建築と造園です。

 テーマは「茶の湯」でした。茶室の流れをくむ数奇屋建築と、自然をそのまま切り取ってきたような茶庭を、私流の和の感性で一体化させたものです。

 いやらしい商業主義の臭いが全くしない、斬新かつ不思議な商空間として、誕生直後から世の絶賛を浴び続け、今も播州姫路を代表する名店の一つとして、日々千客万来の活況を呈し続けています。