播磨屋本店の沿革と概要

あの豊臣秀吉が開発した生野銀山で有名な兵庫県生野町(江戸時代には徳川幕府の天領)で、幕末の文久年間(1860年ごろ)に、初代播磨屋助次郎(現代表の私は5代目)が始めた油屋(灯明油の販売)がルーツです。

その後紆余曲折を経て昭和23年に、クロバー製菓(株)として菓子製造業に転じ、私五代目播磨屋助次郎(本名 阿野拓夫)が入社した昭和46年から、おかき・せんべいの専業メーカーになりました。

昭和60年に私が社長に就任し、それまでの卸売り販売を全面的に改めて、通信販売と直売店による消費者直接販売に切りかえました。

併せて翌昭和61年には、全くの新会社(株)播磨屋本店を設立し、クロバー製菓の社員と業務及び各種設備を全面的に引き継ぎました。

この大転換が、その後の飛躍的発展につながったものです。

現在の年商は、およそ60億円です。

社員数は、正社員約150名、その他社員約150名で計約300名ですが、その90パーセント以上は女子社員です。

販売商品は、おかき・せんべい・もち等の米加工品を中心に、日本の伝統食品全般です。

次の一文は、昭和61年の播磨屋本店設立時に制定したその経営綱領ですが、今日の「地球革命」を完全に見通しており、たかが37歳の若造がよくもまあと、私自身全く不思議でなりません。

『我々は、世界人類の恒久的平和と真の幸せ実現を心から熱望し、その先達たるべき聖使命を帯ぶ日本民族の、人間性並びに文化性の更なる向上発展に貢献せんという、高邁にして無窮なる理想の追求を、久遠至上の経営目的とする』

以下のページに、各種写真コンテンツを紹介しておきます。

「世直し企業」とか「日本一おかき処」を名乗っている理由の一端が、推察願えれば幸甚です。



創業の家「生野総本店」

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主力工場「豊の岡公園」

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通販物流センター「総本部」

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播磨屋助次郎の隠れ里「朝来山荘」

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