日本一おかき処 播磨屋本店社主 播磨屋助次郎
播磨屋助次郎のエッセイ集 季節の野の花シリーズ

2009年 冬 シリーズ No.8

明石海峡大橋

 明石海峡大橋は、幅約四キロメートルの明石海峡に架かる、全長三九九一メートルの世界一の吊り橋です。主塔の高さが二九八メートル(国内では東京タワーの三三〇メートルに次ぐ二番目)もあり、車で通行しても船から見上げても、まあとにかくとんでもないシロモノです。

 シロモノなどと、関係者の方々には大変申し訳ないのですが、それが、自称自然人の私播磨屋助次郎の偽らざる本音です。

 現代人とりわけ昨今の日本人は、便利になることがイコール幸せになることだと信じ込んでいますが、実はそれは全くの勘違いなのです。

 私がずっと言い続けていますように、金儲け競争に代表される人類相互の全くナンセンスな優劣競争さえ止めれば、その土地土地の風光や名物を楽しみながら、のんびりゆっくり徒歩や船でゆく旅の方がどれほど幸せか・・・・・

  『ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれゆく船をしぞ思ふ』

 これは有名な柿本人麻呂の歌ですが、朝霧の明石海峡を渡ってゆくのは妻か恋人か、それとも遠く四国へ赴任する友人か。いずれにしてもそこには、人が人を深く思いやるしみじみと温かい情愛の心が満ちあふれています。

 人生の本当の幸せって何なんだろう。この小文が、そんな疑問の誘因になれば幸いです。

2008年 冬 シリーズ No.7

コウノトリ(三)
 コウノトリは古来、日本のみならず世界各地で、幸せや喜びをもたらす瑞鳥と考えられてきました。なぜなのでしょう。

 私見で恐縮ながら、古の人々は、食物連鎖の頂点に立つコウノトリを、自然の豊かさのバロメーターにしていたのではないでしょうか。

 ──コウノトリが身近にいるのは、自然が豊かだからである。自然が豊かであれば、日々の生活に不安や心配が全くない。すなわち幸せである──という具合いにです。

 余談ながら今なら──コウノトリが身近にいないのは、自然が豊かでないからである。自然が豊かでなければ、日々の生活に不安や心配が大いにある。すなわち不幸せである──となってしまいます。

 ともあれそんなコウノトリが、私播磨屋助次郎の生まれ故郷のここ但馬で、絶滅の危機を乗り越えて力強く蘇り始めているのです。こんな嬉しく喜ばしいことはありません。関係者各位に心から感謝したいと思います。

 がしかしです。だからと言って私は、兵庫県や豊岡市のコウノトリ増殖計画そのものを、手放しで礼賛するつもりは毛頭ありません。

 それどころか逆に、そんな偽善的発想や取組みでは、コウノトリどころか人類自身が絶滅してしまうと本気で危惧しているぐらいです。

 但馬だけ、コウノトリだけではなく、もっともっと根源的本質的な地球規模での発想と取組みが、焦眉の急であると考えるのです。

 そんな私には、故郷の大空を悠然と舞うコウノトリの一羽一羽全てが力強い同志であり、彼らのクラッタリング(嘴を打ち鳴らす音)は、夜明け近しを知らせる暁の早鐘であるのです。

 いずれにしても、単なる偶然とはとても思えない、不思議な因縁ではあります。

2007年 冬 シリーズ No.6

コウノトリ(ニ)

 兵庫県北部の豊岡盆地一帯は、はるか神話の昔からコウノトリの一大生息地域でした。その名残りで明治以降もつい最近まで、国内唯一のコウノトリのユートピアだったのでしょう。

 記紀(古事記・日本書紀)によれば、その頃の当地方は、水深一メートル未満の沼沢が見渡す限りに広がる広大な湿地帯だったようです。しかしそれはコウノトリの生息には、願ってもない理想的な自然環境であったのです。

 これは余談ですが、その湿地帯を今日のような肥沃な農地に変えたのは、但馬国の遠祖アメノヒボコノミコトでした。ミコトは新羅の王子で、紀元前百年頃に訳あって多くの臣下と共に日本に渡来し、天皇からその御領地であった現但馬地方の統治を任されます。そして持参した鉄器と土木技術を駆使して、この広大な湿地帯の日本海への開口部を深く掘り下げ干拓したのです。その結果が今の豊岡盆地なのです。因みにこれらもすべて記紀の伝承です。

 更に余談です。当地方の一宮である出石神社の祭神は、このアメノヒボコです。またその曽孫に当たるタヂマモリ(唱歌でも有名なお菓子の神様)を祭っているのが、弊社豊の岡工園の鬼門間近に鎮座する中嶋神社なのです。

 余談続きに、当但馬地方は人口当たりの神社の数が全国最高レベルに多いのだそうです。そのせいかどうか、当地方では今も神代の風習が色濃く残り、人情もどこか悠揚として大らかなように思えます。

 そんな但馬人気質も、コウノトリと相性がよかったのかも知れません。いやはや、少々お国自慢が過ぎたようです。お許しください。

2006年 冬 シリーズ No.5

コウノトリ(一)

  『人々が笑みを湛へて見送りし こふのとり今空に羽ばたく』

  『飛び立ちて大空にまふこふのとり 仰ぎてをれば笑み栄えくる』

 これは、今春の「歌会始」での秋篠宮さまと同妃紀子さまのお歌です。お題は「笑み」でした。

 両殿下には、昨年九月二十四日、当地(兵庫県豊岡市)で行われたコウノトリの放鳥式典にご臨席賜わり、記念すべき最初の一羽を大空にお放ち頂いたのでした。そして先日九月六日に、悠仁親王さまがお生まれになったのです。

 思い返せば、秋篠宮さまも紀子さまもそのことを暗示しておられたのかも知れません。いずれにしても、今の日本にこんな喜ばしいことはありません。

 古来、幸運をもたらす瑞鳥と考えられてきたコウノトリ。それが今、わが故郷但馬で絶滅の危機を乗り越え、力強くよみがえろうとしているのです。

 私は、この因縁を非常に誇らしく思うと共に、心中密かに重大なる責任を痛感してもおります。その辺りのところを、今後何回かに分けて本シリーズでご紹介してまいります。お読み頂ければ幸せです。

2005年 冬 シリーズ No.4

丹波の黒大豆

 弊社が最初に世に送り出した商品は、その名前からもお分かりのとおり「はりま焼」でした。飾り気のない無地のブリキ缶入りの贈答品仕様が良かったのか、味と価格のバランスが良かったのか、私自身がびっくり仰天するほどよく売れました。

 そして間髪を入れず引き続いて売り出した第二弾が、ここに紹介する丹波の黒大豆を搗き込んだ「御やきもち」でした。これは「はりま焼」以上に、文字どおり爆発的に売れました。

 弊社の礎を築いてくれ、今なおその屋台骨を強力に支え続けてくれているのは、この「御やきもち」いえ丹波の黒大豆なのです。今回は、そんな大恩ある丹波の黒大豆の自慢話をさせて頂きます。

 丹波の黒大豆の特長は、一言で言えば、その圧倒的なおいしさにあります。どうしてか。その理由はいろいろありますが、私の独断分析では、千年の古都京や食い道楽の商都大坂への地理的近さこそその最大のものと考えます。何に限らず食べ物の味の改良には、舌の肥えた上客の存在が必要不可欠だからです。古来、京大坂は、そんなリッチなグルメ族の一大集中地域だったのです。

そう言えば弊社も・・・・・あっ、どうも今回は自社自慢になってしまったようです。低頭深謝。

2004年 冬 シリーズ No.3

灘の酒

 若山牧水をご存じでしょうか。明治十八年に生まれ昭和三年に亡くなった、近代を代表する歌人の一人です。

  『幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく』

 私が一番好きな牧水の歌です。急激な西洋化すなわち不自然化や競争社会化にともない、必然的に深刻化せざるを得なかった人間一人一人の孤独感や哀しみが切々と胸に響き、思わず涙を誘われます。

 やさしさ故のその深い寂しさが、私にもしみじみとよく分かるのです。そしてその寂しさを紛らわせるために牧水は、自然を愛し旅を愛し酒をこよなく愛したのだろうと思うのです。

  『酒飲めば涙ながるるならはしの それも独りの時にかぎれり』

 この歌にも強く深く共感させられます。牧水は言います。「酒のうまみは単に味覚を与えるだけではなく、直ちに心の栄養となってゆく。乾いていた心は潤い、弱っていた心は蘇り、散らばっていた心は次第に一つにまとまってくる。私は独りして飲む酒を愛する」と。

 私も牧水と全く同じ心で、酒を、特に燗をした日本酒を独り静かに飲むのが好きです。因みに私の愛飲酒は、地元灘の生一本、男の辛口「菊正宗」です。

2003年 冬 シリーズ No.2

国宝姫路城

 私が「姫路のお城」を初めて見たのは、昭和二十八年、今から丁度五十年前のことです。五才、幼稚園児の時でした。

  父の仕事の関係で、生野から姫路へ引っ越す播但線の列車の窓から、父の指さす方角はるかかなたに小さくぽつんと見えたのでした。

 生野は、兵庫県の一番山奥にある小さな小さな鉱山町です。その小さな町の更に小さな一集落しか知らなかった私が、生まれて初めて乗った「汽車」でした。生まれて初めて出る「都会」でした。そして父からその威容をいく度となく聞かされてきた「姫路のお城」だったのです。

 万事におっとり屋だったらしい私は、残念ながらその時の心の高ぶりをよく憶えていません。しかし恐らく、初めての海外旅行の何十倍も何百倍もびっくりして、目を白黒させ続けていたに違いないと思います。

 以来、高校を卒業するまでの十何年間、天守閣をふり仰ぎ見るほどの文字どおりの城下町で、多感な少年時代を過ごしました。

 堂々としてしかも気品あふれる天下第一の名城。私はとりわけ、すぐ西となりの景福寺山の頂上から目線の高さ間近に見る、夕陽に輝く姫路城が好きです。ぜひ一度ご実見ください。姫路城下育ちとして心からおすすめします。

2002年 冬 シリーズ No.1

城崎温泉

 「温泉情緒」この言葉からどんな情景を思い浮かべますか。ひなびた山あいの古い昔ながらの湯治場でしょうか。大きな近代的旅館やホテルがひしめき合うように建ち並び、夜なおこうこうと明るいさんざめく温泉街でしょうか。それともそのどちらでもない、非日常的な華やかさや艶っぽさは持ちながらも、歴史や文化の上品な香りがそこはかとなく漂う静かな温泉町でしょうか。

 日本人は概して温泉好きですが、どんな温泉情緒が好きかとなると、三者三様、十人十色に分かれることと思います。

 私はもう断然、静かな温泉町タイプです。そしてお国自慢のひいき目も相当あるとは思いますが、但馬の城崎温泉をその筆頭に迷わずあげます。

 城崎温泉は古く奈良時代から、有馬の湯、道後の湯とともに、但馬の名湯として広く都に知れわたっていたほどの名湯中の名湯でもあります。

これからの季節(晩秋から冬場にかけて)雪の城崎へぜひ一度お越しください。すばらしい温泉情緒とうまい但馬の地酒、それに美味この上もない旬の松葉ガニが、あなたの旅情を思いっきり慰めてくれることでしょう。