日本一おかき処 播磨屋本店社主 播磨屋助次郎
播磨屋助次郎のエッセイ集 季節の野の花シリーズ

私たち日本人が古より連綿と受け継いできた人生の理想は「自然を愛し自然を尊び自然と共に自然に生きる」です。 私は、日本ほど自然が豊かで霊妙で美しい国はないと確信しています。 それは、日本人のこんな思いに自然が感応して、何千年何万年という長年月の間に、自然ながらにそうなってきたものなのではないでしょうか。

野の花もその例外ではありません。いえその典型例と言えるかも知れません。日本ほど四季の野の花が多彩で、その一つ一つが愛らしく美しい国はありません。

私播磨屋助次郎はなぜかそんな野の花が大好きで、子供時分からずっと、季節季節の野の花に、深い愛情と強い関心を寄せ続けてきました。

本シリーズは、そんな私の心にとりわけ印象深く残った野の花たちを、年4回発行の弊社ダイレクトメール紙上に紹介し続けてきたエッセイ集です。味読願えれば幸いです。

2011年 秋 シリーズNo.39

あきちょうじ
あきちょうじ
 自然は、無数の不思議に満ち満ちています。四季を彩る野の花たちの、妙なる色合いもその一つです。中でも私が特に不思議に思うのは、このアキチョウジもそうですが、スミレやツユクサやカキツバタなど青系の花です。白や黄や赤系の色は、何となくですが土にも含まれているような気がします。しかし青系については、黒い土の中から何でこんな鮮やかな青がと全く不思議でならないのです。まさか空の青を写し取っているわけではないのでしょうが。
あけぼのそう
あけぼのそう
 あきちょうじ同様、初秋の静かな山間の道の辺にひっそりと咲く、小さな花弁のとても地味な花です。なぜあけぼのそうなんだろう。若いころこの花と出会った時、一番に思いました。そして深々と感動させられました。古来、野の花、特にこんな地味な野の花に心を留めた人物は、やはり相当な粋人だったようです。この花の薄白い花弁に、白みゆくあけぼのの空を、そしてその中の斑点に、消え残る星々の残映を感じ取ったというのです。日本人バンザイ!

2011年 夏 シリーズNo.38

ふしぐろせんのう
ふしぐろせんのう
 この花、ご存じでしたか。本シリーズを愛読してくださっているお客様方でも、ご存じの人は非常に少ないと思います。田舎ぐらしの山野草大好き人間の私でさえ、最近はなかなかお目にかかれなくなりました。緑深い真夏の草むらに一際鮮やかな朱点を散らすその風情は、思わず息を飲むほどに美しいものです。庭への移植を何度も試みましたが、上手く根付いてはくれませんでした。やはり野に置けれんげそうならぬ、ふしぐろせんのうなのでしょうか。
ひるがお
ひるがお
 日本中どこにでもある、夏の野花の代表選手です。田舎・都会を問わず、路傍の雑草の一種として、踏まれても刈られても決して絶えることなく、たくましく繁茂し続けています。そしてその花も、姉妹花のあさがおに比べて格段に強靱です。枯草の茎などにからみ付いた蔓先を持ち帰って、いっぱい付いたつぼみが次々と全部咲くのをお楽しみください。もしも持ち手の付いたカゴ花入れをお持ちなら、その持ち手にからませて生ければ一層風情がありますよ。

2011年 春 シリーズNo.37

あんず
あんず
 「庭のあんずの老木が、今年もまた薄紅色のつぼみを枝いっぱいにふくらませ始めました。本格的な春の訪れです」拙著『真実』のあとがきの書き出しの一節です。わが家の裏庭にあるこのあんずは、明治初年ごろに初代播磨屋助次郎(私は五代目)が植えたと言われています。毎年三月下旬ごろに、梅も桜も色を失うほどに見事な花の盛りを迎えます。わが家の花見の主役は、このあんずの老木なのです。今後とも末永く大切にしていこうと思っています。
かたくり
かたくり
 私は若いころ、店に飾る茶花の花材を求めて地元但馬の山や野を、くまなく歩き回った時期がありました。ところがかたくりだけは、まだ一度も見たことがないのです。だから当但馬地方は、かたくりの南限以南なんだろうと勝手に思い込んでいたのです。しかしある人から、ウチの庭にたくさんありますよと教えられ、苗を分けて頂いたのです。それを移植したのが、生野総本店の水車小屋回りの群生です。四月初旬が花期です。ぜひ一度お運びください。

2010年 秋 シリーズNo.36

ひめのぼたん
ひめのぼたん
 私は、毎日一時間ほどの散歩を日課にしています。そしてその道すがら、季節の野の花を観賞するのが大きな楽しみなのです。幸い田舎暮らしです。散歩コースは、田んぼ道あり、山道あり、土手道ありと、変化に富んでいて、このひめのぼたんもそんな道端でよく見かけるのです。とても小さな花なので、いつもしゃがんで愛でるのですが、びっくりするほど愛らしく美しい花です。貴女も、季節の野の花たちに出会いに、散歩に出かけられてはいかがですか。
しおん
しおん
 本シリーズを始めたのは一九九九年の秋号からです。これまでに全部で二十種類の秋の野花を紹介してきました。それらは全て、大好きか少なくとも嫌いではない花ばかりでした。ところが今回「それは不公平です」とばかり、このしおんが自ら登場してきたのです。私は野の花を女性に見立てるクセがあります。しおん嬢には悪いのですが、この花だけはなぜかどうしても好きになれないのです。名前も美しい響きだし、古来結構有名な秋の花なのにです。

2010年 夏 シリーズNo.35

もみじあおい
もみじあおい
 北アメリカ原産で、しかも日本渡来は明治末期といいますから、これはもう純然たる洋花です。しかし不思議なことに、私の和の感性を強くくすぐるのです。派手そうに見えてその実、どこか品のある貴婦人のような風情を備えているからでしょうか。そういえばこの花、高名な日本画家がけっこう日本画のモチーフにしています。弊社生野総本店の来客用園路の脇にも群生させています。八月が花の盛りです。ご来店の折、ぜひお目に止めてやってください。
おどりこそう
おどりこそう
 日本全国どこででも見られる、非常にポピュラーな野の花です。私も子供時分から慣れ親しんだ花で、花弁を次々に抜き取って、そのかすかに甘い蜜を吸って遊んだものでした。しかしその名前を知ったのは、播磨屋本店を創業して店の飾り花を自分で入れるようになってからのことでした。花名の由来は、その一つ一つの小さな花が、笠をかぶって踊っている人の姿に似ているからとか。いつごろ、どんな粋人が名付けたのでしょうか。興味深々の私です。

2010年 春 シリーズNo.34

えんどう
えんどう
 懐かしい──私が何よりも特別に大切にしている、かけがえのない情感です。実は播磨屋本店の商いの秘けつは、顧客のこの懐かしいという情感に強く訴えかけることなのです。それはさておき、私が少年だった頃、母校の姫路市立城北小学校の周辺は、まだまだのどかな田園地帯でした。そら豆畑やえんどう豆畑もたくさんありました。学校帰りに、その畝の間に隠れて、夢中で食べたそら豆やえんどう豆。五十年以上も昔の、心底懐かしい思い出の花です。
さんしゅゆ
さんしゅゆ
 春先、まだまだ風が冷たい冬の名残りの頃、庭の一隅をぱあーっと黄金色に染めて咲くのがこの花です。江戸時代に中国から渡来したらしいのですが、梅と同じく日本人の感性にぴったり合い、今では観賞用として庭などに広く植えられています。また街の花屋さんでも、切り花として安価に入手できます。各店の生け花を私自身で入れていた若い頃、春先には必ず、このさんしゅゆの枝を大壺にたっぷりと生けて、お客様方から感嘆の声を頂いたものでした。

2009年 秋 シリーズNo.33

われもこう
われもこう
 写真を見て、えっわれもこうってこんな地味な花なのっと思われませんでしたか。われもこうという名前は、日本人なら大概誰でも知っているのですが、実物を見たことがない人が意外に多いのです。そう言う私も昔はそうでした。えっこんな汚い花(失礼)なのっと正直思いました。しかし今では、その深い味わいがよく分かるようになりました。色とりどりの秋草を、大ぶりの壺にこき混ぜて生ける場合、この地味さがすばらしい名脇役になってくれるのです。
くず
くず
 くずを知らない人はいないと思います。日本全国どこにもここにも、わがもの顔で大繁茂しているからです。しかしそのくずが、こんな美しい花を咲かせることをご存じでしたか。またこのくずやヨモギ(園芸をする者には全くの憎まれっこ)が、地球のカサブタ(傷の治り初めに出来る荒皮)だということはご存じですか。本当ですよ。ケガをした地球の表面を、まず初めに驚くべき生命力で瞬く間に修復するのは、間違いなくこのくずやヨモギですから。

2009年 夏 シリーズNo.33

ひめひおうぎずいせん
ひめひおうぎずいせん
 ひめひおうぎずいせんと言っても、一般にはどんな花なのか想像が出来ないと思います。しかし実際は、民家の庭先などで広く目にしておられるはずです。華麗な花姿に似合わず強健な性質で、一株植えておけばどんどん自然に繁茂して、鮮やかな朱色の小花を次々と咲かせ、夏の到来を告げてくれます。写真は、朝来山荘の土塀の側に自然に出来た群生です。小ぶりの一茎を、カゴ花入れに投げ込み入れた風情は、何とも涼し気で最高に美しいものです。
はす
はす
 弊社の生野総本店では、数年前から「山野草の楽園」をテーマに、コツコツと手造りの庭作りを進めています。その中核が、正門へと続く石畳道の脇に掘った広さ五坪余りの小さなはす池です。三年ほど前の春先に、出入りの植木屋と苗蓮根を十本ばかり恐る恐る植え込んだのですが、何とたったの一夏で、写真のような見事な群生が出来上がりました。お客様方の「まあきれい!」という感嘆の声を聞く度に、思わず頬がゆるむ私播磨屋助次郎です。

2009年 春 シリーズNo.31

からたち
からたち
 北原白秋の『からたちの花』──からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。からたちのとげは痛いよ。青い青い針のとげだよ。からたちは畑の垣根よ。いつもいつも通る道だよ。からたちも秋は実るよ。まろいまろい金のたまだよ。からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかったよ。──私の生家の前のダンナシュの山田さんのお屋敷、その長い垣根もからたちでした。本当にみんなやさしかったあのころ。五十年以上も昔の思い出の花です。
ふじ
ふじ
 「花は野にあるように」茶道の開祖と言われる千利休の言葉です。そしてこれはまた、私播磨屋助次郎の自然流とでも呼ぶべき生け花の、ほとんど唯一の極意でもあります。この極意一つで大概の花は、自分でも驚くほど美しく生けられるのです。ところがふじだけは別でした。野にあるふじは、枝も花房も下垂しているのが普通です。しかし生けようとする壷の口は、上を向いているのです。このジレンマ、生け花をされる方ならお分かり頂けると思いますが。

2008年 秋 シリーズNo.30

りんどう
りんどう
 りんどうと聞いて、あなたはどんな姿を思い浮かべますか。多分スーパーの花束セットや街の花屋さんで、年がら年中定番商品の一つとして売られている、ごっつい感じのそれだろうと思います。しかし本当は全然違うんです。もっともっと清楚で可憐な花なんです。写真は、私の山荘で撮った自然な姿のりんどうです。近くの山から採ってきた天然りんどうが庭の片隅で生き残り、毎年秋が深まるころになると忘れずに咲いて、私を慰めてくれるのです。
みそはぎ
みそはぎ
 水辺でよく繁茂し、花の色が萩によく似た紅紫色なので、初めみぞはぎと呼ばれていたものが、いつからかみそはぎに変化したものと思われます。八月の旧盆ごろに咲くので、墓前や仏前に供えられることが多く、当地方では盆花とも呼ばれています。とんでもなく生命力旺盛な花です。私も山荘の小さなかきつばた池に植えた一株が見る見るうちに大繁茂して、大好きなぬまとらのおの貴重な群生が駆遂されそうになり、必死に防戦させられているほどですから。

2008年 夏 シリーズNo.29

はまなす
はまなす
  潮かをる北の浜辺の砂山の
      かのはまなすは今年も咲けるや
  大好きな石川啄木の歌です。二十一歳の春、故郷岩手県渋民村を石もて追われるごとく後にした啄木一家は、北海道に渡ります。そして二年ほどの間に函館、札幌、小樽、釧路を転々とするのですが、これはそのどこかで見たはまなすを懐旧して詠んだ作品と思われます。そんな北国の花の南限が当地佐津海岸で、弊社豊の岡工園の海浜大庭園にも移植してきています。
ほていあおい
ほていあおい
  私は姫路城の城下町育ちです。城のすぐ側が内堀、その外側が姫山公園、高い石垣をはさんで中堀、そして外堀代わりの船場川。それら全てが、私たち子供のかっ好の遊び場でした。そんな堀や川に文字通り大群生していたのが、このほていあおいでした。夏になると、子供心にヒヤシンスそっくりと思える、淡紫色の美しい花を一斉に咲かせました。その後、堀の美観をそこねるからと駆除されてしまい、今はもう見られません。美観とは一体何なんでしょうか。

2008年 春 シリーズNo.28

ちごゆり
ちごゆり
 ずっと以前の「ささゆり」の時にも書きましたが、日本は世界のゆり愛好者たちから、ゆり王国と呼ばれるほど 野生ゆりの種類の多い国です。その中で最も小型がこのちごゆりです。ちご(稚児)とは幼児のことで、林間の木陰に 群生する様は、正しく園児の群れを連想させ誠に可愛らしいものです。地方なら意外と身近な所で普通に見られますし、 都会でも園芸店で入手可能です。地植えするより鉢植えにして、飾り棚等で目線を近付けて観賞したい花です。
しゃが
しゃが
  私の野花好きは、小学校低学年のわずか六~七歳のころに、既にその萌芽があったように思います。家の近くのお寺の裏に大きな竹林があり、その中いっぱいにこの花が群生していたのです。直射日光が差し込まないほんのり小暗い静寂の中に群れ咲くその清楚な姿を、子供心ながらええなぁと感激したことを、今も鮮明に覚えています。派手さを抑えた上品な趣きのことを雅味と言いますが、私は小さい時から何に限らず、この雅味が好きだったように思います。

2007年 秋 シリーズNo.27

おみなえし
おみなえし
 長男である私は、小さいころから父のお供をして、お盆の墓掃除に行っていました。竹やぶから切り出した二本の青竹から、父が器用に上下二段になった花立てを数対作るのです。その時竹の端を持っているのと、出来上がった花立てを近くの清水まで運び、急ごしらえの荒縄のたわしで洗うのが私の役目でした。そんな苦心の末の真新しい花立てに、しきびやききょうやみそはぎ等と共に、必ず立てたのがこのおみなえしでした。しみじみと懐かしい花です。
かきもみじ
かきもみじ
 身近に柿の木がある人ならよくご存じと思います。秋が深まり柿の実が赤く色付くころ、葉もまた紅葉し始めます。しかしその変化の仕方が実とは大きく異なり、それはそれはものすごく美しいのです。緑色から濃い柿色まで複雑微妙にグラデーションして、正しく神技としか言いようがありません。弊社生野店の田舎料理に添えるフルーツ、普段は熊笹の葉に乗せてお出しするのですが、この時期だけは柿の葉を使います。みなさんとっても喜ばれますので。

2007年 夏 シリーズNo.26

はまひるがお
はまひるがお
 遠い少年の日の夏の思い出に、鮮やかに残るとても懐かしい花です。私が通った姫路市立城北小学校では毎年夏休みの直前に、近郊の白浜海水浴場で水泳を習う全校行事がありました。今は工場地帯になってしまって昔の面影は全くありませんが、目をつぶればはっきりと思い出します。山陽電鉄の白浜ノ宮駅からの白く乾いた土道を。途中にあったかまぼこ工場の良い匂いを。そして見渡す限りに続く砂浜一帯あちこちに、美しく群れ咲く浜昼顔の花をです。
きり
きり
 私どもの生野店に、高さ十メートルにもなる桐の大木があります。その昔、田んぼの畔に植えた苗木が大きく成長したものです。毎年夏が来るころ、空に向かって大きく広げた枝先いっぱいに、淡い紫色の花群を咲かせます。母屋の茅ぶき屋根との対比の妙がとても美しく、薫風を受けて元気よく泳ぐ鯉のぼりと共に、生野峠の初夏の風物詩となっています。またその花がびっしりと散り敷いた、まるで淡紫のじゅうたんのような風情にも、深い味わいがあります。

2007年 春 シリーズNo.25

けまんそう
けまんそう
 今から二十何年かの昔、商売の勉強会で、滋賀県にある有名な和菓子屋さんを見学に行きました。その折、茶寮の渡り廊下の信楽焼の掛花入れに入れられていたのがこの花でした。衝撃的でした。ああ何て美しいんだ。心底そう思いました。花そのものもさることながら、自然豊かな美しい山里、美しい和の建物群、美しい茶庭、そして美しい花入れにさり気なく入れられ
た美しい野の花。私の日本的美意識を一瞬にして開眼させてくれた、思い出深い花です。
きぶし
きぶし
 一般にはほとんど知られていませんが、私にとっては、ねこやなぎと共に春の息吹きを実感させてくれる、とても親しみ深い花です。春とは名ばかり、まだまだ冬の気配が濃厚な残雪の山間で、鮮やかな黄緑色の小さな花芽を開き初めたその姿は、本当に春の使者のようです。掛花入れにつばきと合わせるのもよし。大壺にたっぷりと一種入れするのもよし。貴女なりの感性で、早春の風情を楽しんでみられてはいかがですか。街の花屋さんでも入手可能です。

2006年 秋 シリーズNo.24

ふよう
ふよう
 少しずつ少しずつ段々に段々にやって来る春に比べて、秋は「あっ秋が来た」という感じで八月の旧盆前後に、ある日突然やって来るように思います。前日までとは打って変わって大気がカラリと澄み渡り、空の青が抜けるように深まることから、文字どおり体感されるのでしょう。その季節のそんな日に一番よく似合うのがこの花です。まだまだ残暑厳しい中、強い日差しをいっぱいに受けて大らかに咲き誇る気品あるその姿を、心から美しいと思います。
みぞそば
みぞそば
 みぞそばと言っても、ピンとくる人は少ないと思います。しかしこんぺいとうの花と言われれば、あああれかと子供時分を懐かしく思い出す人が多いのではないでしょうか。草そのものは、山すそや田畑の溝側などの湿地に群生する典型的な路傍の雑草ですが、秋も深まってくるころ、うす紅色の小さな花をいっぱい咲かせます。その花の色や形や大きさが、金平糖にそっくりなのです。あなたの思い出の中にも、美しいこんぺいとうの花は咲いていますか。

2006年 夏 シリーズNo.23

ふたりしずか
ふたりしずか
 いつ、誰が、この花にこんな美しい名前を付けたのでしょう。私は超が付くほどの山野草大好き人間ですが、花の名前には余り頓着しません。そんなもの単なる符号に過ぎないと考えるからです。だからけっこう有名な花でも、その名前をしばしば忘れます。そんな私が決して忘れることがないのが、この二人静です。真緑の葉の上に鎮座する二本の花穂、必ず一方が長く
てもう一方がそれより少し短いことも気に入っています。男女雛を連想するからです。
やましゃくやく
やましゃくやく
 「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」は、美人を花に例えたものです。私は、ボタンは豪華過ぎてちょっとどうかなと思うのですが、ユリは絶対にささゆり、シャクヤクは一般的な園芸種のそれではなく、断然このやましゃくやくをイメージします。とにかく私は、自己主張を抑えた清楚さや、内面からにじみ出てくる品がなければ、美しい女性とは全然思えないのです。ご同輩諸兄は、どう思われますでしょうか。

2006年 春 シリーズNo.22

こぶし
こぶし
 しらかば、青空、南風、こぶし咲くあの丘北国のああ北国の春──その昔、千昌夫が歌って大ヒットした「北国の春」の一節です。別に北国というわけではありませんが、ここ但馬丹波地方にもたくさんのこぶしが自生しています。まだまだ寒々しい裸木の目立つ早春の山々に、大きな真っ白い花をいっぱいに咲かせたこぶしが点在する情景は、日本人なら誰もが懐かしさに胸キュンとなる、ふるさとの春の原風景そのものではないでしょうか。
ばいも
ばいも
 自己の分際をわきまえて、感謝と報恩の心で謙虚にひかえ目に生きる人間が私は好きです。反対に分際をわきまえず、目立とう目立とうとする自己主張の強い人間は、どうしても好きになれません。そして自分でも不思議に思うのですが、私のこの好悪の感情は、花に対しても全く同じなのです。地味でひかえ目でありながら何とも言えず愛らしい風情。中国からの渡来種ながら、私の心を強くとらえて離さない大好きな花のひとつです。

2005年 秋 シリーズNo.21

ひがんばな
ひがんばな
 日本人好みという言葉があります。大方の日本人がいいなあと感じる情趣のことです。花にも当然、そんな日本人好みのものとそうでないものがあります。私だけの偏見かも知れませんが、ひがんばなはどうも後者のように思われます。イメージがド派手過ぎるのです。しかしそれ故に幼いころの思い出に強く残って、ほのぼのと郷愁を誘われる貴重な花でもあります。弟たちとよく首飾りを作って遊んだなあ。人生、はるばると随分遠くまで来てしまいました。
きんもくせい
きんもくせい
 人間の嗅覚は記憶中枢と密接につながっているように思えてなりません。変な話で恐縮ですが、私は金鳥のエアゾールの臭いをかぐと、瞬間的に学生時代の下宿部屋を思い出します。ドブ川の側だったので、蚊が多かったのです。それと全く同様にきんもくせいの匂いをかぐと、瞬間的に万国旗はためく黄色い歓声に満ちた小学校の運動会を思い出すのです。私の通った姫路市立城北小学校の校庭には、当時たくさんの
きんもくせいが植えられていたのでした。

2005年 夏 シリーズNo.20

さぎそう
さぎそう
 私は播州姫路の育ちですが、その市花がこのさぎそうです。姫路城が別名白鷺城とも呼ばれるからのようです。小学校三年生か四年生かの遠い遠い昔の夏の一日、近郷の湿原への遠足がありました。食虫植物のモウセンゴケの観察が目的だったと記憶しています。そこにこの花が群生していたのです。その花名の由来を先生から聞いて、モウセンゴケの観察どころではなくなってしまったその時の私でした。今も鮮やかに残るとても懐かしい思い出です。
びようやなぎ
びようやなぎ
 三十代の半ば、茶花に興味を持つようになるまでは、その存在すら全く知らなかった花です。初夏のある日、いつものように店で使う花材を求めて車を走らせていた私は、遠い川向こうに黄色く群れ咲く見なれぬ花を見つけました。そばまで行ってみると、予想に違わず大変私好みの何ともかれんな花でした。今は山荘の書斎の窓先に栽培して、毎夏身近にその美しい姿を楽しんでいます。今年も小さなつぼみがふくらみ始めました。もう夏です。

2005年 春 シリーズNo.19

ねこやなぎ
ねこやなぎ
 「早春賦」という唱歌があります。春は名のみの風の寒さや──というあの歌です。春の初めというよりも、冬の終わりという感じの強い立春ごろの情景を唄った名曲です。そんな「早春賦」にぴったりなのがこのねこやなぎ、私は迷わずそう思います。水温むにはまだまだ早い二月初旬ごろの川岸で、ぷちっぷちっと芽吹
いたばかりの、そのつやつやした銀灰色の花芽を目にする時、ああまた春がくるそうしみじみと実感できるとても幸せな私です。 
いかりそう
いかりそう
 弊社の生野総本店にお越し頂いたことがありますでしょうか。そこで出す拙い田舎料理に、私が密かにこだわって、オープン以来ずっと続けてきたことがあります。お膳の隅に、極々小さな一輪ざしにさした季節の野の花を添えることです。オープンは昭和六十三年の四月八日でした。丁度いかりそうの咲く季節でした。その大きさや姿形が私のねらいにぴったりで、余り自信の持てなかった素人料理を、見違えるように引き立ててくれました。思い出深い花です。 

2004年 秋 シリーズNo.18

しゅうかいどう
しゅうかいどう
 ベゴニアの仲間と知って「へーえ、そうなのか」と驚いた記憶があります。男のくせにと言っては変ですが、私が山野草に強く心を引かれるようになったのは、三十代の半ばでした。そして不思議なことになぜか、花屋で売っているような派手な洋花や栽培種の花には、心が全く動きませんでした。だから驚いたのです。この花は大好きでした。秋の訪れを微妙に実感させてくれる花でした。今も山荘の土塀の際にいっぱい増やして、初秋の風情を楽しんでいます。
むくげ
むくげ
 これも同じく三十代の半ば、全く唐突に「茶花」の虜になり、十年ばかり凝りに凝った時期がありました。いろんな花入れを入手し、山野で採ってきた季節の野花を入れては「よし、決まった!」と独り悦に入って楽しんだものでした。その折、いとも簡単によく「決まった」のがこの花でした。夏から秋まで花期が長く、また大変水揚げしやすいのも魅力でした。種類が非常に多い花ですが、私は白の一重の底紅(花の底が紅色)が一番好きです。

2004年 夏 シリーズNo.17

しまあし
しまあし
 脇役と呼ばれる立場があります。また名脇役と言われる人物がいます。地味で淡泊ながら独特の個性で、主人公の華やかさや存在感を一層引き立たせる不思議な雰囲気を持った人のことです。しまあしは、夏の山野草中一番の名脇役です。それが山野草である限り、どんな花にもよく合い、引き立たせ、そのやわらかい葉先を微風にそよがせて涼感を演出してくれます。またしまあし自体も盛夏に穂を出しますが、庭の片隅で風に揺れる様は何とも美しいものです。
みやこわすれ
みやこわすれ
 晩春から初夏にかけて咲く多くの花の中で、とりわけ好きな花の一つです。正確には園芸種で山野草ではないのですが、なぜかとっても心引かれるのです。私の山荘にもあちこちにいっぱい植えて、その前を通る度に「やあ相変わらずきれいだね」などと声をかけたりしています。花色はピンクとうす紫と濃紫の三種類あるのですが、私はもう断然濃紫が好きです。完全な日向より木陰や建物の陰など、半日陰に植えた方が一層風情が増すように思います。

2004年 春 シリーズNo.16

あぶらな
あぶらな
 生野を源に日本海へと流れる但馬随一の大河円山川。やさしく穏やかな但馬人気質を育んだ母なる川です。三月から四月、その川原や堤防を見渡す限りに埋め尽くして咲くのがこの花です。菜の花の原種なのかも知れません。遠い昔、私が商工会の青年部長をしていたころ、町の春祭に呼んだ藤圭子ショーの舞台を、とっさの思い付きで、軽トラいっぱいに刈り取ってきたこの花で飾りました。そのやさしい薄黄色が藤圭
子さんの人柄にぴったりで、心中密かにガッツポーズしたこと、今も懐かしく思い出します。
わさび
わさび
 日本人なら「わさび」を知らない人はいない
と思います。しかしその生えてある姿、分けて
もその花となると、意外に知られていないのが
現実です。かつて私もその一人でした。日当り
のよい山裾の冷たい湧水、それを利用して誰が
作っているのか猫の額ほどの小さな小さなわさ
び床。もう二十年近い昔の春四月、そこで偶然
目にしたその花、そしてその葉その茎。真に感
動ものでした。美しいとか清楚とか愛らしいな
どという言葉以前に、ただアッと息をのんで見
つめ続けるばかりでした。貴女もぜひ・・・。

2003年 秋 シリーズNo.15

はぎ
はぎ
 はぎには、こんな思い出があります。今から
18年前の昭和六十年、播磨屋本店草創のころ
の思い出です。私もまだ三十代の若さでした。
現在は朝日あげの専用工場になっていますが、
生野本社中央工場の竣工式会場を飾ったのがこ
の花でした。水あげしにくいので、当日朝一番
に自分で採ってきた一かかえほどの山はぎを、
大壺に無造作に投げ入れたのでした。季節感た
っぷりで、多くの来会者の深い感動を呼んだこ
とを、つい昨日のことのように思い出します。
のこんぎく
のこんぎく
 一般に野菊と呼ばれているのは、こののこん
ぎくのことです。山野や路傍、田の畔などに日
本中どこででも、ごくごく普通に見られます。
「野菊のようなきみなりき」何の一節だったか
歌の一部だったか忘れましたが、古来、日本の
男たちは、理想の女性像をこの花のイメージに
重ね合わせたと言います。栽培種の色鮮やかな
菊、豪華な大輪の菊もいいですが、自己主張を
抑えた清楚な野菊の美しさを理解でき愛せる、
そんな男であり続けたいとしみじみ思います。

2003年 夏 シリーズNo.14

つゆくさ
つゆくさ
 日本人なら誰でもがよく見知っている、典型
的な路傍の花です。しかし腰をかがめ目線を近
付けて、しげしげと見入った経験のある人は余
り多くないと思います。まだ陽が昇らない夏の
早朝、朝露にしっとりぬれた真っ青なつゆくさ
の美しいこと美しいこと。黒い土の中から一体
どのようにして、この沁みとおるような鮮やか
な青を染め出してくるのか。切り花にすると、
あっという間に輝きが失せます。野にあるまま
のつゆくさの青、ぜひ一度あなたも・・・・。
ほたるぶくろ
ほたるぶくろ
 これもまた日本中どこででも見られる、たく
ましい路傍の花です。名前は、子らがこの花に
ホタルを包んだことによると言われています。
私も一度やってみようみようと思いながら、今
だに。どんなにか幻想的なことでしょう。小人
の国の提灯、そんな風情ではないでしょうか。
私の山荘の庭にも、山野から移植したほたるぶ
くろがいっぱい咲きます。すぐ側の谷川ではホ
タルの群舞も見られます。今年こそ。結果は、
またいずれ播磨屋通信ででもお知らせします。

2003年 春 シリーズNo.13

みつばつつじ
みつばつつじ
 私は播州姫路の育ちです。播州平野の北辺に
は低い里山が連っています。今は造成されて宅
地化してしまっていますが、昔は近郷の子供た
ちの絶好の遊び場でした。そんな山々に驚くほ
どいっぱい自生していたのが、このみつばつつ
じです。三月下旬の花期には、山全体がぼおっ
とうす紫色に染まって見えるほどでした。母が
喜ぶのが嬉しくて、よく手折って家へも持って
帰りました。遠い少年の日のほろずっぱい思い
出がしみ込んだ、とても懐かしい花です。
ほうちゃくそう
ほうちゃくそう
 ほうちゃくとは宝鐸と書き、お寺の堂塔など
の軒先につるす大型の風鈴のことです。花の形
や咲き方がその宝鐸にそっくりなのです。決し
て希少な花ではありません。その気になりさえ
すれば、日本中どこででもごくごく普通に見ら
れます。必ず群生しています。静かに下を向い
て咲く、地味な白色の小さな奥床しい花です。
花期は四月から五月です。庭への移植も比較的
簡単です。もっともっと多くの人にその存在を
知ってほしい、大好きな野の花の一つです。

2002年 秋 シリーズNo.12

ききょう
ききょう
 秋の七草といえば、はぎ、すすき、くず、お
みなえし、ふじばかま、なでしこ、そしてきき
ょうです。昨今の園芸種のききょうは、六月ご
ろから咲き始めるので、何だか夏の花のように
思われがちです。しかし本来の野生種は九月ご
ろ咲く典型的な秋草なのです。まぶたを閉じれ
ば鮮明に思い出されます。遠い少年の日、今は
ゴルフ場や別荘地に開発されてしまった生野高
原の一面のすすきが原に、秋風に揺れながら乱
れ咲く野生のききょうの鮮やかな紫色を。
えのころぐさ
えのころぐさ
 穂の形が小犬の尻尾に似ているところから、
狗尾草と名付けられたとか。別名「猫じゃらし
」とも言い、誰でも知っているどこにでもある
路傍の雑草です。しかし人がそうであるように
草花もまた、成育環境によっては(劣悪な厳し
い環境ほど良い?)大変に味のある美しい色と
姿に育ちます。丈が低目で少々黄色味がかった
えのころぐさの一群が、野菊を混じえながら秋
の陽を受けて黄金色に揺れ輝く様は、何とも言
えない深い味わいがあるものです。

2002年 夏 シリーズNo.11

かきつばた
かきつばた
 決していいかっこをしようと思って言うので
はありません。実は、現在の私の生き方はこの
花が決めてくれたのです。それはもう10年以上
も前のことになります。毎年毎年楽しみにして
見守り続けていたカキツバタの天然群落が、私
の目の前で、しかもあろうことか花の盛りに、
ブルドーザーのえじきになって生き埋めにされ
てしまったのです。めちゃくちゃ悲しく、心底
つらかったです。以来、環境問題の抜本解決が
私の絶対の人生目的になってしまったのです。
ぬまとらのお
ぬまとらのお
 花穂の形が虎のしっぽに似ているところから
付けられた名前のようです。沼地に生えるので
ヌマトラノオと言います。乾いた草原に生える
オカトラノオと言う兄弟花もありますが、私は
どちらかといえば、細身でやさしい感じのする
ヌマトラノオの方が好きです。いずれも山野か
ら堀り採ってきて簡単に栽培できます。私の山
荘の中庭でも、小さなかきつばた池の辺りに毎
年律気に群れ咲いて、本格的な夏の訪れを告げ
てくれます。

2002年 春 シリーズNo.10

やまざくら
やまざくら
 難しそうな説明で恐縮です。しかしどうして
も話したいのです。「しきしまのやまとごころ
を人とはば朝日ににほふやまざくらばな」有名
な本居宣長の和歌です。さわやかな朝日をいっ
ぱいに受けて、明るく清らかに、そしてすこや
かににおい咲くやまざくらの花。日本とは、そ
んな国だというのです。私も全く同感です。さ
くらの国日本という時のさくらは、どうしても
やまざくらでなければいけません。そめいよし
のは、ちょっと違う、そんな気がするのです。
すみれ
すみれ
 日本人なら誰でもよく知っている、春を代表
する野花です。しかし余りにも当り前にどこに
でもあり過ぎて、多くの人がこの花のすばらし
さを見逃してしまっていると思います。立った
ままではなく是非しゃがみ込んで、目を思い切
り近付けて観賞してみてください。その愛らし
さ美しさにびっくりされると思います。色とい
い姿形といい、人工的に改良(?)された洋種
の三色すみれなど、それこそ足元にも及ぶもの
ではありませんから。

2001年 冬 シリーズNo.9

うめ
うめ
 本来は、春の花に分類するべきなのでしょう
が、私は寒中に凛然と匂い咲く早咲きのうめが
たまらなく好きです。図鑑によりますと、中国
からの渡来種とのこと。しかし千年の時を経た
今、日本人の精神風土にすっかり溶け込んでし
まっています。ぱっと華やかな桜にはない、ぐ
っと抑制のきいた気品こそ、うめの魅力でしょ
う。恋人なら桜子、妻なら梅子、おっとこれは
日本男児の見果てぬ夢でした。因みに私の山荘
の中庭は、広々と明るい梅林にしています。
さざんか
さざんか
 「さざんかさざんか咲いた道。たき火だたき
火だ落ち葉たき。あたろうかあたろうよ。北風
ぴーぷー吹いている」さざんかと聞けば、まる
で条件反射のようにこの歌を思い出します。昔
は日本中どこででも見られた、歌詞そのままの
心温まるのどかな情景とともにです。この何と
も言えないほのぼのとした情感は、よく似た兄
弟花のつばきにはないさざんか特有のものでし
ょう。いっぱい種類がありますが、私は原種に
近い淡いピンクの素朴な一重が一番好きです。

2001年 秋 シリーズNo.8

しゅうめいぎく
しゅうめいぎく
 暦の上での立秋は八月初旬ですが、本当の秋の訪れは、やはり九月の声を聞かねばなりません。丁度そのころ咲き始めるのがこの花です。私にとってしゅうめいぎくは、秋の到来を告げる大切な花です。赤花と白花、そして一重と八重がありますが、私は白の一重が断然好きです。 大ぶりの古丹波の壺にたっぷりと生け、ああ今年も秋が来たんだなあとしみじみと実感するのです。厳密には、山野草ではなく中国原産の園芸種です。お宅の庭にも一株いかがですか。
やまじのほととぎす
やまじのほととぎす
 「あっお父さん、ホトトや」初秋の山道でこの花を見かけると、今はすっかり青年に成長してしまった長男のかわいらしい歓声を、つい昨日のことのように思い出します。店で使う茶花を採りに、子らを連れてよく山歩きをしたものでした。山野草に関心のない方には、何だか珍しそうな花に見えるかも知れませんが、日本中どこででもごくごく普通に見られます。小さな花入れに一輪挿して、山路の秋を演出されてはいかがでしょうか。

2001年 夏 シリーズNo.7

ささゆり
ささゆり
 日本は世界のゆり愛好者たちから、ゆり王国
と呼ばれるほど野ゆりの種類の多い国です。そ
んな中で、私が特別大好きなのがこのささゆり
です。六月下旬から七月上旬、山あいの草原で
ややうつむきかげんに匂い咲くその気品あるた
おやかな姿をたまらなく美しいと思います。飾
り気がなく清楚そのものなのに圧倒的な存在感
がある。女性に例えるなら雅子様か紀子様かと
いったところでしょうか。残念なのは、近年急
激にその数が減ってきていることです。
どくだみ
どくだみ
 ドクダミとは、何ともかわいそうな名前を付
けたものです。その特有の強い臭気とも相まっ
て、何だか毒々しいイメージがありますが、実
際は全くの逆なのです。別名「十薬」ともいわ
れるぐらいで大変貴重な薬草なのです。日本中
どこででも身近なところにいくらでも見られま
す。変な先入観を持たずに目線を近付けて、よ
くよくご覧になって見てください。こんな愛ら
しく美しい花だったのかと、きっとびっくりさ
れるとおもいます。

2001年 春 シリーズNo.6

やまぶき
やまぶき
 山中の谷川沿いや陽当たりの良い山すそなど
に群生して咲く、日本の春を代表する花のひと
つです。私は特に一分二分咲きのころが好きで
す。大きく弧を描いて垂れ下がる鮮やかな緑色
をした細長い茎に、点々と並んだこれまた鮮や
かな黄色のつぼみが一輪二輪と開きかけたころ
の気品ある風情はたまらなく魅力的です。また
盛期の四月より、春まだ浅い三月初旬に南向き
の山ふところで百花に先駆けて咲き始める早咲
きのやまぶきは、とても印象深いものです。
にりんそう
にりんそう
 こんな愛らしく美しい花がみなさんの身近で
も見られます。そう言ったら、きっと驚かれる
と思います。でも本当なのです。私も近郷の名
もない神社の境内でその大群生を発見した時は、
思わず感嘆の声を上げてしまいました。ええー
っ、何でこんなところにこんな珍しい花がある
のとです。みなさんもぜひ探してみてください。
大きな木々で半日陰になっていて、静かなしっ
とりとした土と空気があるところをです。花期
は四月半ばです。

2000年 冬 シリーズNo.5

寒菊
かんぎく
 菊といえば普通、大輪のそれを連想しますが
私は余り好きではありません。野菊の風情を失
わない小さくて清楚な、そして和菊特有のふく
いくたる香りを放つそれが好きです。そんな小
菊は私の知る限りほとんど黄色です。また野生
種に近い故に生命力が強く、花期が十二月にま
で及ぶものも珍しくありません。霜の降りる寒
い日が続くと葉が赤く照ります。朝霜にぬれて
この赤い照り葉が黄色の小花を引き立たせる様
は、えも言われず美しいものです。
やぶ椿
やぶつばき
 日本人の椿好きは世界的に有名です。人工的
に改良された園芸種は千をこえるといわれてい
ます。しかし意外なことに日本固有の野生の椿
は、やぶ椿と雪椿の二種類しかないのだそうで
す。私は身近によく見かけるやぶ椿、それも真
冬に咲く早咲きのそれが好きです。ものみなし
ょうじょうとした冬枯れの中、濃緑の葉かげに
真紅の色を散りばめるかれんなやぶ椿を目にす
ると、春遠からじの思いに心明らむのをおぼえ
るのです。

2000年 秋 シリーズNo.4

すすき
すすき
 庭にすすきを植えるなどと言うとほとんどの
人が意外に思われます。特に植木屋さんはびっ
くりします。たちの良くない雑草の代表選手と
して毛嫌いされているのです。しかし、だまさ
れたと思って一株植えてみてください。庭にど
れだけ風情が出、季節感を演出してくれること
か。しかも一度植えたら毎年必ず生えてきてく
れます。また心配されるほど繁し過ぎること
もありません。美しく作るコツは、つゆ前に一
度全部刈り取って二番穂にすることです。
コスモス
こすもす
 不思議な花です。メキシコ原産、しかも近代
に入ってからの極新しい渡来種だというのに、
日本の秋にすっかりなじんでいます。単に気候
風土が合ったというだけではなく、秋に対する
日本人特有の細やかな情趣に全く違和感なく溶
け込んでしまっているのです。秋風に揺れるス
スキの穂波と秋空の下に群れ咲くコスモスが同
じように美しい懐かしいと感じられるのです。
秋咲きの原種のコスモス、もっともっと日本中
に増えていってもらいたいものです。

2000年 夏 シリーズNo.3

かわらなでしこ
かわらなでしこ
 何とも美しい色合いの花です。紅一点という
表現がありますが、この花の風情からきている
ように思えてなりません。「あっあそこにかわ
らなでしこが咲いている」とても小さなかれん
な花なのに、また決して派手な色合いの花では
ないのに、生い繁る夏草の中にその存在が遠目
にもはっきりと分かるのです。その昔、日本女
性のすばらしさがこの花に例えられましたが、
私にはその理由が何となく分かる気がします。
ご同輩諸兄はどう思われますでしょうか。
やまあじさい
やまあじさい
 山間の谷川沿いなどのやや湿った木陰に群生
する落葉低木です。栽培種のあじさいよりすべ
てが小作りで地味ですが、私は絶対にこの方が
好きです。雨上がりの杉林の中で初めてその大
群生を発見した時、余りの美しさに息を呑んで
立ちつくしてしまったことを今も鮮明に覚えて
います。幻想的という表現が正にぴったりの光
景でした。山からの移植も比較的簡単です。長
雨の頃、私どもの本店をお訪ねください。水車
小屋のそばに楚々と群れ咲いていますから。

1999年 冬 シリーズNo.2

すいせん
すいせん
 山野に自生するすいせんをご存じですか。越
前海岸や淡路島のそれが全国的に有名ですが、
そこまで大規模でなくても実は身近にけっこう
あるのです。人が植えたり捨てたりした球根が
野生化して群落となったものがです。まだまだ
春にはほど遠い冬のさなかに、寒風をついて端
然とにおい咲くすいせんの花。なぜ真冬に咲く
のか。なぜそうも芳しいのか。思わずそう尋ね
てみたくなるような実に不思議な魅力を持った
花です。
のじぎく
のじぎく
 西日本各地の日当たりのよい海岸の斜面や崖
や山麓などに自生するキク科の多年草です。そ
の飾り気のない清楚な姿は、やさしくのどかな
瀬戸内の海に実によく似合います。海岸がまだ
一面の塩田だった私の子供時分、その周辺一帯
に咲き乱れる真っ白いのじぎくが、透きとおっ
た晩秋の陽に美しく照り輝いていたのを懐かし
く思い出します。栽培は比較的簡単で海を模し
た弊社豊の岡工園の前庭でも毎年見事な群生を
お楽しみ頂いております。

1999年 秋 シリーズNo.1

みずひき
みずひき
 竹やぶや杉林などの外緑部等に群生するタデ
科の多年草です。晩夏から初秋にかけて長く伸
びた茎の先から小さな赤い花を穂状に付けます。
葉に黒色の斑紋が出たものが侘びた風情があっ
て私は好きです。庭への移植も簡単で植込みの
そば等の半日陰的場所によく映ります。余り目
立たない地味な花ですが、「あっもう秋だ」そ
んなうれしい季節感をともなった大変印象深い
花のひとつです。
つりふねそう
つりふねそう
 渓流沿いや山かげの湿地等に群生する一年草
です。夏の終わりから秋の初めにかけて紅色の
とてもおもしろい形状の花を付けます。かれん
で大変美しい花ですが、栽培は難しくまた切り
花にしても水揚げが悪いので自生地で観賞する
しかありません。どこでもちょっと山間に分け
入ると割合い簡単に見つけられます。初秋の一
日、つりふねそうを訪ねて谷あいの小道を散策
するのは心楽しいものです。